当時のアイドル・ギタリストは誰でした?

 ジミヘンとウェス。それしかなかったね(笑)。


ではそのルーツが
今につながっているわけですね(笑)。


 
そうですね(笑)。だから今でもCD屋さんに行くと必ずジャズとロックの売り場には行きますね。高校の時何かの雑誌でジミヘンが座ってギターを弾いている写真を見たんですよ。その時"あの音はこのギターから出てるんだ、これが欲しい!"と思ちゃって。でもそれがどこのメーカーなのかも分からないの。ロックに詳しい友人がいて「それはフェンダーというメーカーで、高いギターだからショウケースに入ってて弾かせてもらえないよ」って教えてくれたんです。

ギターを始めてからは
どんどんのめり込んでいったわけですね。

 もうメチャメチャでしたね。買った日から数ヶ月くらいは、朝起きると顔に6本弦の跡が残ってるんですよ(笑)。


では上達も早かったでしょ。

 ええ、高校3年ですでにギターでお金もらってました。やはりピアノをやっていたおかげだと思うんだけど。当時シングルノートに走るやつはいたけど、和音の方に走るやつはいませんでしたからね。当時は歌のバックでやるのにコードを間違えないだけでイケたんですよ。ディスコの生バンドとかずいぶんやりました。


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次のギターは何だったんですか?

 それでお金が入るようになってからSG(ギブソン)を買いました。高校3年の時ですね。たまたま先輩が借りてきたのを弾いた瞬間に "ツェッペリンの音だ!"
って思ったんです。なんか普通のアンプなのにナチュラルに歪んでるんですよね。それまで使っていた僕のギターはパワー不足で全然歪まなかったから。

当時SGは高かったでしょ?

 もう、他の学校からもギターを見に来ましたよ。中古だったんですけど、12万くらいでした。
そのSGはいかがでした?

 いやもう音の良さに....。
さらに1日10時間とかの練習になっちゃいました(笑)。

高いギターを買うと、練習に力が入りましからね(笑)。

 夏休みも友達と遊ばないで練習ばっかりして、僕だけ真っ白な体で2学期を迎えたり(笑)。お風呂に入る時も脱衣所までギターを弾きながら行って、風呂上がって服着たらまたすぐギターを弾いてましたね(笑)。
和田アキラさんが、メシ食いながら弾いたっていう話は聞いたことありましたけどねぇ(笑)。

 そういえば昔アキラ君とセッションをした時に三日三晩一緒にいましたけど、二人ともずっとギター持ったままでしたよ(笑)。


ファンダーのロゴが違うよ?


(笑)高校を卒業されてからは?

 一応つぶしが効くように大学に入ったんです。でももうその頃は仕事がどんどん忙しくなってきちゃって、11時までディスコでやってその後朝までジャズ・クラブでやるというような生活でした。よく寝ないで学校行ってましたね。その当時はもう2本テレキャスターを持ってました。それから神戸の友人がオールマン・ブラザーズ・バンドをやりたいって言うんで、僕のSGとそいつが持っていたストラトを交換したんです。それがストラトとの最初の出会いでしたね。でも初めてストラトを弾いてみたら「ベ〜ン」だし、"おいコレばったもんじゃないか? ジミヘンの音じゃないよ"って(笑)。悩みましたよ、すごい、それで心斎橋の楽器屋に行って、勇気を出してショウケースの中にあるストラトを弾かせてもらったんですよ。そしたらやっぱり同じ音で、"なんだ、こういうもんなんだ"って思って(笑)。逆にジミヘンってホントにすごいんだなぁって思いました。

ストラトは、使いこなすのに結構難しいギターですよね。

 決してすぐにいい音が出せる楽器ではないですね。テレキャスターは少々当たっていればパワーが出るんですけどね。

その後はストラトにぞっこん?

 芦屋にロック喫茶があって、ディープ・パープルの『マシーン・ヘッド』をかけられた時にはもう・・・。その時に知人が「これストラトだよ」って教えてくれて。"俺のストラトこんな音でねぇぞぉ?"って(笑)。それからアームを使うようになったんですけど、誰も周りにストラトを持ってるやつがいないからアームのフローティングのやり方とか教えてもらえなくて、自分で調整する事を覚えたんです。

当時はギターについて試行錯誤しながら自分で勉強しましたよね。

 そうですね。でも、キース・リチャーズのギターにハムバッカーというのは思いつかなかったですね。その頃はけっこうお金があったもんで、テレキャスを2本買って、その内の1本を「キース・リチャーズみたいにハムバッカー付けるからボディー削ってくれ」ってお店の人に言ったら、「何て事言うんだ!」って怒られちゃいましたよ(笑)。でも改造しちゃいましたけどね。そのギターは今でも持ってます。その頃はまだ70年代初期のストラトを弾いていたんですけど、ディレク・アンド・ザ・ドミノズの『いとしのレイラ』のジャケを見た時に、同じストラトなはずなのになんか違うんですよ。その時にツイストの松浦(善博)君がすでにオールドのストラトを持ったんです。僕は知らないもんだから「これ偽者と違うん? ファンダーのロゴも違うよ」って(笑)。そしたら「これはクラプトンも使っていたすごいギターなんだぞ!」って言われて。で、その頃からヴィンテージのストラトが欲しくてしょうがなくなっちゃったんです。で20〜21歳の時に、神戸の楽器輸入代理店に行ってヴィンテージを探してもらったんです。その時に今もメインで使ってる58年製のメイプル・ネックのサンバーストを見つけたんですよ。ルックスは他のより汚かったんだけど、一番いい音がしたんだよね。ストラトとテレキャスを売ってその58年を買ったんです。

良いヴィンテージのギターを弾くと、気付く事もたくさんあったのではないですか?

 もう衝撃的でしたね。まず音が太い。経年変化でマグネットが劣化してこうなってるって言う人もいますけど、実際パワーもあるんですよ。フロント・ピックアップの音が特に違うような気がするんです。弾いた時に感じるのがデレクみたいな音がすぐにでちゃうっていう。その音にすごく触発されました。

実際に弾いてみると「やっぱりヴィンテージは良い」って言われるだけのものはありますよね。

 ありますね。同じヴィンテージでもあまり弾き込みが足りないものとかもありますけどね。古き時代はアンプ直が多いじゃないですか、だから当時の音楽のほうがレンジが広い感じがしますね。これはギターだけじゃなくてアンプとかもそうでしょ。だから最近はあえてローテクな物を選ぶこともあるんです。あまり整理されてない時の音の方が太くて豊かだったりするんですよ。内部の配線などもあまり伝導率の高いものにすると、ハイファイになり過ぎちゃって、リアリティーのないサウンドになってしまうんですよね。

オーディオみたいな。

 ええ。ステレオにつないだギターの音みたいな。空気を含んだ音じゃなくなるんでよ。いっときは伝導率の高い物を調べたり、オーディオ・ケーブルを自分で作ったりとかしてたんですけど、近頃は逆にコンデンサーをデッドストックの昔の物に替えることによってもっとディストーションがスムーズになることが、分かったんで、そういうものを使うようにしています。

なるほど。上京されたのはいつ頃なんですか?

 2年までは大学に行ってたんですけど、その間しばらく神戸のディスコでギター弾いていたんです。でどういう訳か当時僕が作ったデモテープが東京まで流れてて、四人囃子の岡井大二から電話がかかってきたんです。「お前、東京に出てくるしかないよ」って。それにだまされてホントに出てきたんです、中退して(笑)。

上京された後はどんな生活を?

 佐藤ミツル君だとか佐久間正英さんとかと親しくなったんだけど、彼らの周りってフュージョンぽいギターを弾いている人ってあまりいなかったんですよ。で「そういうの法田なら弾ける」っていうことで仕事が回ってくるようになったんです、CM音楽とかの。

神戸にいた頃と仕事の内容が全く変わりましたね。

 "やっぱり東京はメジャー・リーグだな"と思いました。そうこうしているうちに来生たかおさんのバック・バンドに呼ばれたんです。それをやったとたん大ヒットしちゃて、それからはもう彼と同じくらい忙しくて1日に2時間睡眠で全国ツアーですよ。時にはベストテン番組とかテレビ中継が入ったり、別のアーティストの仕事もやったり。すごく運が良いと思うんですけど、自分が演奏した曲は次々とヒットしたんです。この手の歌バンでライトハンドのギター・ソロ入れたのは、僕が最初じゃないかな?

さぞかし忙しかったでしょうね?

 そうですね。年間100くらいはライブやって、その合間にレコーディングでしたから、それで必要なギターは次々と買うようになりました。

そういう生活は何年くらい続いたんですか?

 15年くらいは続きましたね。だから楽器は増える一方で・・・。

現在何本くらいギターをお持ちですか?

 40本くらいですかね。あまり改造とかしないで買うもんだから、増えちゃうんですよ。